便利さとは合理性を追求する事だとすると、無駄を削ぎ落とした形で残っていくものが
便利さにつながる事になります。
進化の過程で退化していく事は、一見合理化された事に見えますが、それはニーズと少しズレた
感覚のような気もしますし、「便利」か「不便」かという物差しは、価値を測る意味で不正解の
場合もあると思うのです。
便利さを追求するのは、進化の為に必要なことだと分かっていても、それから逆行したくなる
気持ちって、、なんなんでしょうか?
便利さを求め合理性を追求した結果。たしかに、スマホは昔のパソコンよりも断然性能はいいし、
カメラ機能も素晴らしいです。更に小型軽量化が進みましたがスッペックは上がり、インターフェイス
のデザインや動作性も説明書がいらないくらいわかりやすく身体的で、暮らしを一変するくらいの
存在感と将来の可能性を広げてくれるツールですが、一方でスマホのない生活にも何故か憧れてしまいます。
そういう「便利」なものがなかった頃のほうが豊かに暮らせていたような気がするから不思議です。
アップルのプロダクトは大好物ですけどね。テンションあがるし。笑
料理は合理性を求めるよりも手間暇をかけるほうが美味しいと思います。
ファッションだって、ビンテージカーに乗る人だって、「便利」という尺度じゃないところで、
「豊かさ」に通じる価値観があるし、魅力的なライフスタイルを持っている人が多いような気がします。
飾り棚があったら、ホコリが溜まりそうとか、掃除がめんどうと思うのではなく、
お気に入りのアレを飾りたいと思えるような生き方ができたらいいなと。。
そしてそんな退化しそうな感情を大事にできる暮らしの提案ができればいいと思ってます。
それって、心に余裕がないと無理ですね。
ついつい便利を求めてしまう。。進化とはそういう事のような気がする。